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エナジーヴァンパイア

 2009-04-12
自分の中のエネルギーが低下している時、欠乏感や孤独感を感じる時、周りの人や物、場所からその不足分を補おうとする人がいる。パワースポット、ヒーリングスポット巡りや、パワーグッズ収集はもちろんのこと、友人知人問わず「元気な人、強い人」と繋がろうとする。

自覚がある人もいれば、そうでない人もいる。どちらにしてもその対象からエネルギーや何がしかのパワーを吸い取っていることには変わりない。吸血鬼、ヴァンパイアのようなものだ。

悪気があろうとなかろうと、自分の中に、何か「欠如しているもの」がある時にそれを求めようとするのは、実は「自分のことしか考えてない」ということの表れでもある。

「パワーを分けてもらおうと思って」「癒されたい」一見謙(へりくだ)っているニュアンスがある。しかしそこにあるのは、ただの「自分勝手さ」だけだ。「早く足らないものを埋めなくちゃ」という焦り。ヴァンパイアが人間の血を求めるのとまったく変わらない。

「パワーをもらう」「癒してもらう」と、自分が「してもらう」こと、取ること(take)しか考えてない。そして、もらうだけもらっておいて、自分からは何も返さない。返すこと、与えること、「give」が完全に抜け落ちている。

「パワーをもらった」「癒してもらった」その「感謝」の中の大半は、対象に対するものではない。自分の足らないもの、欲しかったものを得られたことに対する「満足感」に対して向けられている。「私の欲求を満たしてくれてありがとう」というのが本当のところだ。

「たまには相手にも返せば?」と思う。人や物、場所、そこからエネルギーをもらったり、癒してもらったのであれば、どうして「お返し」しようとしないのか?「よかった、よかった。元気になった。癒された」と機嫌良くなるのは結構だ。しかし、それで終わるのは完全な「taker(取ってばかりの人)」。

自分が元気になった分、ほんの少しだけだとしても、どうして「お返し」をしようとしないのか?アニメの「ドラゴンボール」ではないが、「お陰で元気になりました。小さい元気玉だけど、お礼に置いていきますね」と、どうして考えないのか?

自分の中の「古いエネルギー」とやら言うものや、ネガティブな思いとか、憑いていたものとか、その他諸々の「自分が要らないもの」を、一方的に、全部相手に押し付けているだけではないか。何というか、ものすごい自分勝手だと思う。

自分は気分が軽くなったり、元気が出たり、万々歳かもしれない。しかし「要らないもの」を押し付けられたり、置いていかれたりした側はたまったものではない。その分こちらが疲れたり、汚れたり、重くなったりするのだから。人でも物でも場所でもそれは変わらない。

「あそこに行くとパワーをもらえる」「あれを持つと癒される」「あの人と会うと元気になる」どれもこれも、それは「自分が取っている、奪っている」ということでもあるのだ。

どんな世界にも「仁義」というものが存在するのだ。「取ったら与える、与えたら取る」のギブアンドテイク。それが「道理」というものであり、必要な「けじめ」。それが欠けている人があまりにも多過ぎる。大体、「エネルギーを自分の外からもらう、補充する」というその意識からして既におかしい。

エネルギーは自分で作っていくものだ。自家発電のように、自分自身の「内部」で作っていくもの。「エネルギーが落ちている、今エネルギーが低い」という人達に限って、実はそのエネルギーを全然使っていない。「本当のエネルギー」は、使えば使うほど出てくるものだ。

「落ちている」「低くなった」「減った」と感じるのは、それが「本物」ではなかったということだ。自分以外のものから吸い取っていたものを、ただ使っていただけだから。ヴァンパイヤと同じ。自分の体の中にあるエネルギーが無くなる度に、それを補充できる「獲物」を求め探していただけだからだ。

エネルギーは自分で作り出すもの―そこに気づかなければ、パワースポット巡り、パワーグッズ集め、相談という名の愚痴をぶつける相手、「獲物」を探し求める日々は永遠に続くことになる。べつに神社仏閣に行かなくても、パワーストーンのアクセサリーをじゃらじゃら身につけなくても、誰かに心の内を明かさなくても、エネルギーは湧いてくる。

「エネルギーをもらう」「癒してもらう」自分の中にある、その「受け身」の意識を捨てた時、その本質を知るだろう。今自分が足らないと思っているものは、もう既に自分の中にあるのだ。






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カテゴリ :はい論破!スピリチュアルと自己啓発の矛盾とからくり トラックバック(-) コメント(-)
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