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沈黙の悲しみ(5)不幸につけ込む人々

 2009-04-03
母の葬儀の翌日、私達家族は疲労困憊していた。自死ということもあり、その前後には警察の取調べや現場検証等が伴う。それと同時進行で通夜や葬儀の準備をしなければならなかった。「普通の葬儀」の場合でも、遺族は心身共に消耗するものだ。自死遺族の場合、いろいろとプラスαされるものが出てくるので、疲労や消耗度が倍増される。

私はアメリカからの長時間のフライトの疲れがどっと出て、フラフラの状態だった。とりあえず葬儀も無事に済んだということで、気が緩んだのだと思う。父は目の下に隈が出ていたし、弟も叔母や祖母も、顔色が良くなかった。家族みんなが疲れていた。

その時、玄関のチャイムが鳴った。玄関に一番近いところにいたということもあり、私が応対に出た。ドアを開けると、女性ばかり5~6人の人達が立っている。その中の2人はご近所の人だった。他は面識のない人。とりあえず挨拶をして、「あの、何か?」と言うと、一番前に立っていた50代半ばくらいの女性が「この度は本当にお悔やみ申し上げます。私ども○○と申しまして・・・」と、有名な宗教団体の名前を言った。

この悲しみを乗り越えるためにも、これを機会に私共の宗教に入らないか、今私達がここに来たのも何かの縁だと思う云々・・・要は宗教への勧誘だった。そういえば、一緒にいるご近所の2人はその宗教団体の熱心な信者だと以前聞いたことがあった。その後も延々と喋り続けるし、きりがない。「すみませんが、来客中ですので」と嘘をついて、お引取り願った。

「何だって?」「宗教の勧誘。○○に入らないかだって」と、話しているそばからまたチャイムが鳴った。ドアを開けると、今度は知らない男性と女性が2人立っている。「何でしょう?」「私達は○○という宗教団体の者なのですが」と、今度は別の有名団体の勧誘だった。

それからの一週間というもの、毎日宗教への勧誘がひっきりなしに訪れた。一日に何度も玄関のチャイムが鳴る。有名どころから初めて聞く名前の団体まで、多分20近くあったのではないかと思う。居留守を使っていると、その後必ずポストには宗教関連の小冊子やチラシが山ほど入っていた。

中には東北地方等、遠方の団体からのものもいくつかあった。日本にこれだけの数の宗教団体が存在しているということも驚きだったが、どこからそういった情報を得るのか本当に不思議だった。


自死遺族の多くが、やはりそういった宗教の勧誘を受けた経験があると言っている。「故人は成仏できずに地獄にいて苦しんでいる。成仏させてあげられるのはうちの宗教だけ」「今ここで供養しないと、また自殺者が出る」「あなたの家系は自殺の因縁があるから、今ここでそれを切らないといけない」遺族の「弱み」を的確に突いてくる。

「見えない世界」のことを持ち出されたら、ましてや故人があの世でも苦しんでいる等と言われたら、平気でいられるわけがない。それでなくても、自死遺族は「どうして助けてやれなかったのか」「自分がもっと早く気づいてあげていたら」「自分の言ったことが原因なのではないか」と、罪悪感や無力感に苛まされているというのに。

宗教というものは、誰かから勧められたり、強要されて入るものではないと思う。自分がそれを本当に求め、必要としているのであれば、自分からそこに向かっていくようになっている。

大体人が弱っている時に勧誘しにやって来るなど、「弱みにつけ込む」以外の何物でもない。「お助け」とか「救済」とか、ご大層なことを言う割には、その実やっていることは「押し売り」と変わらない。

自分が良かれと思ってやっていることでも、相手がそう思わなければ、それは単なる押しつけ、迷惑でしかない。葬儀の翌日からやって来るなんて、礼節を欠くというか、魂胆が見え透いているというか・・・勧誘の「ノルマ達成」のカモにされるこちらはたまったものではない。


多くの宗教で、「自殺は罪深いこと」「神に背く大罪」とされている。「地獄に落ちる」「無間地獄をさ迷い続ける」そういった恐怖に満ちた言葉で表現されているのが常だ。しかし、それは「あくまでも宗教上での表現」だ。その宗教で「罪」「悪」とされることを犯した時に、「こんな恐ろしいことが起きるのだぞ」という、「恐怖感の植えつけ」。恐怖感や罪悪感を植えつけ、縛る。畏怖と束縛―宗教の原則だ。

キリスト教の宗教画や仏典の絵巻物で描かれている「地獄」の様子は、「デフォルメ」されたもの、いわば大袈裟に表現されたものだ。言葉を解さない幼児、文盲の人等にも一目で分かるように、意識して大仰に描いている。釜茹でにされるとか、針の山を歩かされて舌を抜かれるとか、実際にそういった情景が、絵という形で視覚に訴える効果は想像以上に絶大だ。

霊能力者による鑑定等の場合も同様だ。その人が受け取ったビジョンというものは、その霊能力者の「フィルター」を通して伝えられる。内容は同じでも、霊能力者によって表現や描写がまったく異なるのはそのせいだ。

「いかにも」というような、何かおどろおどろしい描写をする能力者の場合、その人自身の本質や、その霊能力の出所というか、繋がっている所が、そういう質のものなのだと思う。表面上の言葉や表現に惑わされたり、過度に気にする必要はない。それが100%の真実とは限らないのだから。実際その後に「私が成仏をさせてあげます」と、高額なお布施を要求された人もいる。

地獄のイメージは、あくまでも人間が創ったもの。「この宗教を信じていれば、こういう所に行かなくてすむ」というアピールであり、「脅し」だ。依存と束縛を強化するためのツール。

それを逆手にとって、人の不幸に乗じた火事場泥棒的な嫌らしさを感じさせる「輩(やから)」は、悲しいかな、現実に、数多く存在する。他人の痛みや苦しみを食い物にする人種が、世の中に、自分の周りにこれだけ存在することを思い知らされることは、新たな悲しみ、落胆をもたらす。

人間は、どこまで残酷になれる生き物なのだろうか―。

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カテゴリ :自死遺族としての声 トラックバック(-) コメント(-)
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