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アメリカにて「NO PARTY, NO LIFE!だってアメリカ人だもん」

 2016-09-24
「パーティー」が嫌いだ。「サプライズパーティー」は、それ以上に嫌いだ。

こう言うと、「えー!意外!」と決まって驚かれるのだが、基本ソロ活動を好む人間なので、わちゃわちゃと大人数が集まってキャッキャウフフしながら賑やかに騒ぐということが、どうも性に合わないのだ。

自分で言うのもなんだが、人当たりはいいので、その場の空気に馴染んでそれなりに振舞うことはできる。だが、正直「自分を含めて、せいぜい4人まで」という、経験から独自に導き出した許容数を超えると、もうダメだ。「人酔い」してくるというか、気疲れして、どんどん消耗していき、最終的にライフポイントは限りなくゼロに近くなる。

アメリカ在住の頃、それはもう鬱陶しかった。大なり小なり、「パーティー」と銘打った集まりを年がら年中気軽に開くお国柄。「この先一生パーティーと名のつくものに出なくてもいい」と本気で思うくらい、引っ張り出され、連れ回された。

室内だけでなく、ビーチや公園、キャンプ場等至る所で開かれるそれに、「こいつらどんだけお祭り騒ぎが好きなんだよ・・・」とヘロヘロになりながらも、郷に入っては郷に従え―その国で生きている以上は受け入れなければならない。パーティー嫌いの人間にとって、アメリカはまさに「鬼門」なのだ。

「人生は楽しんでなんぼ」という考えが国全体に浸透していることもあり、アメリカ人は、人を喜ばせたり楽しませることに対して労を惜しまない。もちろん、「自分も楽しむ」という前提で。それは、「情熱的」「貪欲」と称してもいいほどだ。彼らにとって、パーティーは、「自分が人生を謳歌していることを手っ取り早く実感できる場であり、機会」でもある。

特に、誕生日やお祝い事に関することであれば、「当然サプライズパーティーっしょ!」という前提で話が進むことが多い。さすが映画の都 ハリウッドを抱えるエンターテインメントの国だけあって、アメリカ人はその手の演出が大好き且つ得意ときている。

日本人なら、「でも、それって準備が大変じゃない?」と二の足を踏みそうな規模や内容だとしても、彼らは持ち前の情熱と貪欲さとサービス精神で、それをやってのけるのだ。普段の「えー、そこまでガチガチにしなくてもいいんじゃないのー?適当でいいよー。Take it easyだよー」という大雑把モードが消え失せ、俄然マメになるのも面白い。

そういった部分を含めての、様々な思いや手間やアイディアが詰まったイベントなので、仕掛けられる側は、ただただそれを受け入れるしかない。私のような「サプライズ嫌いのパーティー嫌い」からしたら、自分がその「主役」になることは拷問にも等しい。「そういうのはいいから!本当にいいから!必要ないから!」と阻止しようにも、ロックオンされたら最後、諦めるしかないのだ。

ただ、仕掛ける側が、いくら慎重に、バレないようにこっそり仕込みをしていたとしても、ちょっと勘のいい人間なら「その気配」は容易に察することができる。だが、もし感づいてしまったとしても、仕掛けられる側は、決してそれを表に出してはいけない。ターゲットである当事者は、あくまでも知らんふり―それが「暗黙のルール」なのだ。

たとえオフィスの休憩室のテーブルの上に、誰かがうっかり置き忘れた自分の誕生パーティー用の買い物リストを見つけてしまったとしても。仕事からの帰り道、立ち寄ったショッピングモールのベーカリーで、同僚が「そう、スペルはM・I・R・A。大きさは・・・」と、自分のためにバースデーケーキの注文をしている場面に遭遇して、気づかれないように踵を返し、ダッシュでその場を立ち去ったとしても。友人の家で、「バスタオル取ってきてー」「はいよー」と開けたクローゼットの中に、自分の名前と「HAPPY BIRTHDAY!」と書かれたタグが付けられた、明らかに「プレゼント」とわかる包みを偶然見つけてしまったとしても。

「バレバレですやん!サプライズちゃいますやん!」という状態になったとしても、「何も見てまへん。何も知りまへん。皆さんが私の誕生日にサプライズパーティーを開こうとしてるなんて、そんなことは夢にも思ったことはありまへん」を貫くのが、仕掛けられる側の「使命」であり、「仁義」なのだ。ここまで来ると、「鬱陶しい」を通り越して、もはや「鬱状態」に近くなってくる。

くそー・・・「誕生日いつ?」って聞かれた時、「誕生日?実はもうすぐなんだよねー」なんて言わなきゃよかった・・・(T_T)

何がイヤって、サプライズ嫌いの自分にそれを仕掛けられることがわかっているだけでもアレなのに、その瞬間が来るまで「えー、サプライズって何?それって食べられるの?」的な鈍感さを装ってからの、「オーマイガー!信じられない!なんて素敵なの!ありがとう!」という感激した体の小芝居をこなさなければならないのだ。

いや、無理。マジ無理だから・・・。あたくし、イクストリームリーにシャイなジャパニーズなんで、そんなハリウッド的な寸劇を求められても非常に困るんですけど・・・。

つーか、前から「サプライズ苦手」って言ってるじゃん!もしかしてあれか!?「押すなよ!?絶対に押すなよ!?」って前フリして、熱湯風呂に落とされるダチョウ倶楽部の芸的な意味に取られてたとか?うわー・・・マジ勘弁・・・。「日本人はなかなか本音を言わない」って言われてるけど、私は違うんだよぉー!思ったことははっきり言う性格なんだよぉー!前フリなんかじゃないんだよぉー!ヽ(`ω´*)ノ彡

ただね・・・やっぱりアメリカにいる以上、逃れられないんですよ。その「寸劇」を演じることから。アメリカのドラマや映画でも見たことあるでしょ?

明かりの消えた部屋に入る主人公。「あれ?誰もいないの?ねえ、誰・・・」「サプラーーーイズ!!」の声とクラッカーの音と共に電気がついて、満面の笑みを浮かべて物陰から現れる人々。突如始まる「ハッピーバースデー」の合唱。感激の面持ちの主人公。

「さあ、ロウソクを吹き消して!」目の前に差し出されるバースデーケーキ。ロウソクが消えると沸き起こる拍手。ハグとキス。手渡されるプレゼント。「素敵!これ欲しかったの!本当にありがとう!」喜びと幸福に顔を輝かせる主人公。それを微笑みで温かく見守る周囲の人々―。

書いているだけでも胸焼けして白目をむきそうになる場面だが、これがデフォルトなのだ。もうね、「圧」がすごいんですよ。圧が。その「愛と感動に溢れた場面の主人公役」を最後まで完璧に演じることを、周りが信じて疑わないわけ。もう「台本」があるんじゃないかと思うくらい。男女・年齢・人種関係なく、「主人公役」は、判で押したように「幸せな主人公的小芝居」を恥ずかしげもなく堂々と披露する。

日本の2倍以上の人口なのだから、私のように、「パーティーもサプライズも滅びろ!」という変わり者は絶対にいると思うのだが、私の知る限り、かなりの偏屈者として通っているような人であっても、その手のイベントには、やはり「主人公役」をそれなりに務める。

普段では考えられないような、「へー!この人でもこんなことするんだ~」という、ちょっとした「観客サービス」があったり。その徹底ぶりに、「なんかスゲー。アメリカ人スゲー。さすがエンタメの国だわー。ジャパニーズには無理っすわー」と感心することしきりなのだ。

だが、個人的に、「台本疑惑」は、あながち「ハズレ」ではないと思っている。アメリカ人は、「イメージ」に沿って生きている―私はそう思うのだ。自分達が描いた「アメリカ人像」というものに忠実であろうと躍起になっているように見える。

彼らを見ていると、時々痛々しくなることがある。多くの人が抱く印象とは裏腹に、アメリカ人は非常に保守的だ。一見おおらかそうに見えるが、その実は、旧態依然というか、「こうあるべき」というイメージや思考にこだわる傾向が強い。

「人からどう思われるか」「自分は人からどう見えているか」を、彼らは常に気にしている。一見「強気」に見える態度の裏には、意外に脆い顔が存在している。「強さ」が価値を持つ国で、「弱さ」を見せることは御法度だ。足元をすくわれる危険を招く恐れがある。

彼らが「強くポジティブであること」にこだわるのは、アメリカは「強くなければ生きられない国」だから。あの国では、「強さ」は正義であり、善なのだ。

多分、国として独立した背景や「フロンティアスピリット」、「アメリカンドリーム」の影響だと思うのだが、アメリカ人の中には、「強い者」「成功者」への憧れや信仰が根強くある。「世界のリーダー」「マッチョ(男の中の男)」「No1」といったものへのこだわりも、それらが「強さ」や「成功」のイメージを喚起させるからだと思う。「強い者=勝者」という概念が定着しているのだ。

何年か前、北米でのトヨタ車大規模リコール問題の証人として、トヨタ本社社長が米議会での公聴会に召喚されたことがあった。その際、トヨタの社長が涙を流す場面があったのだが、これが大きな話題になった。私もニュースでその映像を見たのだが、「あー、やっちまったな・・・」と。

日本とアメリカでは、「泣く」ということに対する感覚がまったく違う。特に、理由は何であれ、大の大人の男が、それも、国を代表する企業のトップが人前で泣くということは、アメリカでは「ありえない!」ことなのだ。「由々しき事態」と言ってもいい。「男泣き」に寛容な日本では、同じ場面に遭遇した場合、割と好意的というか、同情されたりすることも多い。

だが、アメリカは違う。たとえそれが「感極まって」という種類のものであっても、「男の涙」はドン引きされたり眉を顰められるお国柄、「トップが泣くだと?そんな人間が舵取りをしているこの企業は大丈夫なのか?」と、嫌悪に近い懸念をされる。感情のコントロールができない、しいては自己管理能力が低い「無能な人間」という評価が下されるのだ。

もし、うっかりそれを披露してしまった場合、完全に引いた状態のその場の空気を一気に笑いに変えてしまうくらいの、自分の「失態」をジョークにして処理してしまえるようなユーモアと臨機応変さを披露できなければ、マイナス評価は覆らない。例外としてそれが認められるのは、家族や近しい人を亡くした時だけだ。

実際、涙を流すトヨタの社長を見るアメリカ議会の人々の視線は、非常に冷ややかだった。完全に「敗者」を見るそれ。中には明らかに侮蔑の表情を浮かべている人もいた。「男が泣く」ということは、「異常事態」であり、「弱さ」の露呈と取られる。「マッチョ信仰」の強いアメリカでは、「男の涙」は奇異且つ忌むべきものなのだ。

「涙もろい」は、アメリカでは通用しない。日本では、しばしば「やさしさ」「情の深さ」と結びつけられ、人間的な魅力や個性として扱われたりするが、アメリカでは「emotional:感情的な」と一括りにされて終わる。プラスの意味合いで捉えられることもない。おそらく、それはヨーロッパでも同じだと思う。

甲子園球児が流す涙さえ、アメリカ人は理解しない。「なぜ彼らは泣いているんだ?試合に負けたから?は?WHY!?悔しいのはわかるけど、どうしてそこに涙が必要なんだ?泣くことはないじゃないか!」やはり、この国では「弱さの要素」は不要なのだ。敗者の中に「美」を見ることもない。

だから彼らは「強さ」にこだわる。「成功者と思われたい」「強い人間に見せなければ」そういった思いは、「成功者と思われるには?強い人間に見せるには?」という思考に繋がっていく。

「成功者」や「強い人間」はどんな話し方をし、どんな顔で笑うのか?「成功者」や「強い人間」は、どんな態度や振る舞いをするのか?「成功者」や「強い人間」は、どんなふうに物事を考えるのか?

アメリカで、自己啓発セミナーや精神分析等のカウンセリングが盛んな理由も合点がいくのだ。彼らには、「弱さ」を隠す術を身に付けると同時に、その「隠している弱さ」を解放、解消する為の手段も必要なのだ。表裏一体―彼らの「イメージへの渇望」は、それを強く浮き彫りにする。

「まずはイメージありき」それがアメリカという国だ。多分「アメリカ人であること」は、「=アメリカ人を演じること」なのかもしれない。日常の様々な場面で見られる、取ってつけたような、どこか作り物めいた感のあるアメリカ人の反応や態度や表情も、そうだと思えば、何となく頷けるのだ。

「意外と無理をしている」それがアメリカ人だ。内心はビクビクドキドキなのに、弱みを見せまいと精一杯「余裕綽々の強いアメリカ人」を演じているのだ。たまの「なんだと?表出ろ!毛唐!」というような顰蹙発言も、300歳にも満たない「幼児」であるアメリカが、「ぼく、ちゅよいんだからね!」と精一杯いきがっているかのようで、ある種の不憫さのようなものを感じてしまうのだ。

そういった裏面のナイーブさに気づいてしまうと、サプライズもパーティーも、「あのね!強くて成功しているハッピーな人は、こういうことが好きなんだよ!(`・ω・´)」というアメリカ人の必死且つ悲愴なほどの「イメージ」への執着を感じて、「しょーがねーなー。んじゃ、付き合ってやっか・・・」と、渋々ながら受け入れモードになるのだ。ま、そこはもうすぐ2700歳の「大人の国」から来た人間としての「余裕」です。

え?パーティーはどうだったかって?ええ、この上なく盛大にやっていただきましたよ。多分、この先一生分を含めても、最大級の誕生パーティーだったのではないかと。日本ではお目にかかれないような巨大なケーキに、デカデカと自分の名前がクリーム(それも水色でっせ。水色のクリーム、あの時人生で初めて見ましたわ)で書かれてあるのは「壮観」でしたわ。車のトランクがいっぱいになるほどプレゼントももらったし。楽しかったし、嬉しかったです。

でもねー、やっぱり「地獄」でした。あの瞬間。頻繁にアイコンタクトを交わしたり、どことなくソワソワしている周りの様子を見て、「あー、そろそろだなー」と覚悟はしていたはずなんですが・・・「知らんぷりからの歓喜の表情」は、奥ゆかしいジャパニーズには無理でした・・・。

笑顔は引きつるわ、動きがぎこちなくなるわ・・・自分が「女優」に不向きな人種だということがよくわかりました。ええ、絶対に無理です。つーか、すべてを知った上であの役をナチュラル且つ感動的にこなせるのは、劇団四季の人ですよ。ビデオとか撮られてなくてよかったわー。あの場面をネタに一生ゆすられる気がする(T_T)

でも、やっぱりアメリカ人すごいっすわ。「主人公を温かく見守る周囲の人々の役」、みんな完璧にこなしてたし。ただ、そういった多少の「作ってる感」はあるものの、その時のみんなの目の奥に満ちていたものは、間違いなく「本物の温かさ」だった。何よりも、そのことが例えようもなく嬉しかった。

パーティーもサプライズも苦手だし、この先も絶対に好きになるとは思わないが、こういう「本物」ベースのエンタメの中に身を置くことも、時には悪くないものだ。

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続く理由

 2010-02-12
インディアンジュエリーの仕事を通じ、ネイティブアメリカンの人達と関わるようになって8年ほどになる。友人知人の数もそこそこいる。不思議なことに、私は相手を知らないけれど、相手は私を知っているということがある。

居留地に住む友人の家を訪ねた時など、知らない人が挨拶してきたり、「○○の家に行くの?」と親しげに声をかけてきたりするので、「誰?!」と戸惑うこともある。居留地の中にかかわらず、ネイティブアメリカン誰か一人と友達や知り合いになると、その情報はあっという間に他の人にも伝わる。私がどこから来て、どんな仕事をしているのかということも、全部知られている。

以前ナバホの友達の一人が、「ナバホの伝統的なラグを織っているところを見せてあげる」と言って、知り合いのウィーバー(ラグ織職人)の女性の家に連れて行ってくれた。もちろんその女性とは初対面。だが、なぜか相手は私の細かい情報を知っている。自己紹介しようとしたら、「あなた、日本のオサカ(大阪)から来たミラでしょ?」といきなり言われた。「アリゾナには3日前に着いたんですって?時差ぼけは大丈夫?」「あなたが泊まっているホテルね、朝食が美味しいから絶対食べたほうがいいわよ」

「あなた今独身なんでしょ?また結婚する気はないの?知り合いの息子がお嫁さん募集中なんだけど、よかったら紹介するわよ?」「あなたツーソンに住んでるラコタ・スー(族)の○○と友達よね?彼とは以前△△で開いたパウワウ(お祭り)で会ったことがある。いい人よね」

その情報量たるや、「なんでそんなことまで知っとんねん!?」と、こちらが唖然とするほどなのだ。壁に耳あり、障子に目あり。これじゃおちおち悪いこともできやしない。恐るべし、ネイティブアメリカンの情報網・・・。一緒にいた友達に、「ねえ何でこんなに詳しく私のこと知ってるの?」とこっそり聞くと、「さあ。『世界は狭い』って言うじゃない?」と涼しい顔をしていた。

一時が万事そんな調子なので、「まあいっかー」と。べつにやましいこともないので、コソコソ何かを隠し立てする必要もない。それに、この「情報網」が時としてものすごく役に立つ時もあるのだ。

例えば、いろいろなことが「あいつの紹介?よし、わかった」と、そのひと言で片付いたり。逆に、その「見えないコネクション」を通じて、「知らない友達」からいい話が飛び込んできたりとか。

正直最初の頃は、何か監視されているようで落ち着かなく感じることもあったのだが、時間が経つにつれ、だんだんわかってきたことがあった。一連のそれは、いわば彼らからの「信用」の証なのだ。

ネイティブアメリカンの人々の社会や横の繋がりといったものは、いろいろな意味で「昔の日本の田舎」に似ている。良くも悪くも「身内」と「よそ者」をきっちり区別するところなど、特にそうだ。そういった彼らの特性や事情といったものに対して、あれこれ言うアメリカ人も多いのだが、ネイティブの人々にしてみたら、それは「当たり前のこと」であって、彼ら自身、決して「差別」とは思っていない。(まあ中にはそういう意識の人もいるが)

本当に親しくなるまで、受け入れられるまでは時間が掛かるが、一度彼らの信頼を受けたら、付き合いはぐっと濃密になる。「身内のことは知っていて当たり前」になるのだ。その表れが、あの恐ろしく詳細な「情報網」なのである。

ただ、私としては、ネイティブアメリカンの人達と付き合いがあることが「特別」とは思っていない。格好つけるわけではないが、あくまでも「なりゆき上」そうなっただけだと思っている。インディアンジュエリーや工芸品を扱う仕事をしていれば、いつの間にか友達の一人や二人はできて当たり前。「すごーい」と感心されることではない。

逆に、彼らからしてみれば、日本人の私のほうがめずらしい存在なのだ。友人の7歳の息子が、自分の遊び友達に、「ミラは日本からきたんだぜ。ママの日本人の友達なんだ」と、得意げに紹介したりする。居留地から出たこともなく、片言の英語しか話さないナバホのお年寄りに、「生まれて初めて日本人を見た」と、しげしげと顔を見つめられることもしょっちゅうだ。まあ「お互い様」というところだ。

べつに彼らを「聖なる人々」「スピリチュアルな意識が高い人々」と崇め奉っているわけでもないし、いちいち彼らのやる事為す事を有難がることもない。分類上、お互い「日本人」「ネイティブアメリカン」といった名称は付いてはいるが、それを取ったら双方「ただの人間」だ。それほどの違いはない。「学校で友達ができた」くらいの感覚でしかないのだ。


昨今の世界的なスピリチュアルブームで、ネイティブアメリカンの思想や儀式等がよく引き合いに出されている。彼らの伝統的な儀式、「スウェットロッジ」や「ヴィジョンクエスト」が、「スピリチュアリスト」を名乗る人々によって世界各地で行われるようになった。もちろん例外なく日本でも。その中には、ネイティブアメリカンのメディスンマンやメディスンウーマンを日本に招いて、そういった儀式を行っている団体もある。

先日も、そういった団体の一つから、国内某所で「スウェットロッジ」の儀式を開催する旨を案内するメールが来た。その儀式を司るために、ある部族のメディスンマンが来日するとか。「参加費用」と書かれている部分を見て驚いた。そこそこのランクのホテルのツインルーム1泊分くらいの金額が書いてある。結構奥まった不便な場所なので、交通費や宿泊代等を入れたら、近場の海外旅行に行けるくらいの費用になるのは確実だ。

メディスンマンを招くための経費―日本とアメリカ往復のための飛行機代や宿泊費、その他の掛かり等を捻出するには、多分それくらいの参加費を徴収することが必要なのだとは思う。その団体が「ビジネス」としてそれを行っているのなら、やはりそれは仕方がないというか、当然のことだ。

だが、原則として、ネイティブアメリカンの儀式は「すべて無料」だ。金銭のやり取りは発生しない。メディスンマンやメディスンウーマンに、個人的に特別な祈祷を上げてもらったり、儀式を行ってもらう時は、あくまでも「寄付」「お布施」「心づけ」といった感じで、特に「料金」といったものは決められていない。決められている場合も一部あるようだが、それでも20ドル程度と聞く。

それが、場所が日本に変わっただけで、「料金」が設定され、べらぼうな値段が付けられる。その他の国、例えば、やはりネイティブアメリカン熱が高いヨーロッパにおいても、多分状況は同じようなものだろう。

ネイティブアメリカンの社会では、他の国で、自分達の伝統的な儀式を有料で行うメディスンマンやメディスンウーマン達に強い憤りを持っている人が多い。「文化や精神性の切り売り」「冒涜」真正面から非難する人達もいる。その人達が「にせもの」というわけではないが、すべてのメディスンマンやメディスンウーマン達が高潔な人物とは限らない。「なまぐさ坊主」という言葉があるように、「なまぐさメディスン」も存在する。

その中には、「ネイティブアメリカンのメディスンマン」というだけで、他の国でチヤホヤされて調子に乗ったり、高額な報酬に味をしめて、本来の自分の役割を完全に忘れて金儲けに走る人が実際にいるのだ。彼らは自分の「ブランド力」を十分に知っている。欲のために、それをとことん利用することもあるし、自分のダークサイドを上手く隠し、それらしく振舞うことにも長けている。外国で儀式を行うメディスンマン達の中には、そういった類の人達が紛れていることがあるのだ。

同時に、彼らを担ぎ出したり、イージーに儀式に参加する「部外者」達に対しても、同様のものが向けられている。彼らからしたら、自分達の領域に土足で断りもなく入り込んできて、その「上澄み」にちょっと触れただけで、すべてを理解したような気になっている「よそ者」に許しがたいものを感じるのだろう。観光ついでに、訪れた京都の禅寺で、数十分のプチ座禅を体験しただけで、「ゼン」だの「サトリ」だのとはしゃいでいる外国人を見ているような感じなのだと思う。そこにあるのは「浅薄さ」や「自己満足」でしかないのだ。

ネイティブアメリカンの人々と関わるようになってから今まで、私が貫き通していることがある。それは彼らの領域、例えば伝統的な儀式等「アイデンティティー」に関わるようなことには決して立ち入らない、踏み込まない―ということだ。

「ミラだったらいいよ」「ミラもおいでよ」どんなに彼らが勧めてくれても儀式への誘いはすべて断ってきた。彼らの言葉はとても嬉しいし、ありがたい。体験したくないと言えば嘘になる。だが、その見えない「ボーダー」を越えた瞬間、何かが違ってしまうような気がしてならないのだ。この言い方が適当なのかはわからないが、しいて言えば、これは彼らに対する私なりの「けじめ」なのかもしれない。

「親しき仲にも礼儀あり」ではないが、やはりどんなに親しくても、「ノンネイティブ」である自分の立場をわきまえるべきだと思うのだ。

「有料の」ネイティブアメリカンの儀式に参加する人達を非難する気はない。そういった機会に恵まれることは、とても貴重で幸運なことだ。だが、くれぐれも肝に銘じておいてほしいのだ。それが「すべてではない」ということを。「部外者」が興味半分で自分達の伝統に入り込んでくることを、多くのネイティブピープルが、自分達の「核」を弄ばれたり貶められているように感じていることを。

ネイティブアメリカンの儀式―彼らの多くが「邪道」と呼んで憚らない、彼らの土地以外で行われる、「値段」が付けられたそれを、「選ばれた人しか体験できない」などと得意げに、自分の「選民意識」を満足させる道具としてひけらかすことは、「謙虚」を美徳とする彼らが最も嫌うことの一つでもある。

スウェットロッジにしろビジョンクエストにしろ、伝統の儀式は、彼らの日常に「普通に」組み込まれているものだ。日本人が神社仏閣に参拝したり、家を建てる時に地鎮祭をしたり、七五三や厄払いの時にお祓いを受けたり―そんな感じで気負いも衒いもなく、時期やタイミングが来た時や、必要性がある時に「それじゃやりますか」という感じのもの。

確かに儀式の意味合いからしたら、滝行や座禅等に通じる部分もあるのだが、そこあるような「修行!鍛錬!」といった張り詰めた気合や緊張を必要とするものではない。もっと穏やかな、「一部」「根付く」というような、「自然にそこにあるもの」「元から組み込まれいるもの」なのだ。

以前、ナバホの居留地でスウェットロッジの準備をしているところを横で見ていたのだが、みんな淡々としていた。熱狂や高ぶりといったものもない。時々笑い声も聞えたりするのだが、普段とまったく変わらない様子だった。

そもそも「平等」を重んじる彼らの文化では、「これは選ばれし者しか参加できない儀式なのじゃ」などと、もったいぶったり偉そうにする儀式などは存在しない。それを有難がっているのは、妙なスピリチュアルかぶれのノンネイティブだけだ。結局彼らの思想や伝統を変な形に曲げて、本来のそれとはかけ離れたものにしてしまっているのは、ネイティブアメリカンとは縁もゆかりもないその手の「部外者」なのだ。


なんだかんだ彼らとの付き合いが続いているのは、私が「ワナビー」ではないこと、「インディアンになりたがる人」ではないからかもしれない。儀式に参加しないのはなぜか、彼らにその理由を説明したことはないし、その必要もないと思っている。そのことについて特に話をしたことはないが、彼らは理解してくれているようだ。

相手がネイティブアメリカンだろうが何だろうが、友達でいることに「尊敬」以上の「媚び」は要らないのだ。



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アメリカにて「なぜ剃らぬ!?」

 2010-01-04
家の外で、車のクラクションが短く鳴った。キャシーが来たようだ。えーっと、忘れ物は・・・着替えは入れたし、歯ブラシもちゃんと持った。まあ何かあったらキャシーに借りればいいや。さ、あんまり待たせると悪いから早く行こう。おっと!肝心な物を忘れるとことろだった。かみそり、かみそりっと。

バスルームのキャビネットから、私は新品のかみそりを一本取り出した。今夜、これをキャシーに突きつけてやるのだ。彼女の隙を見て。もうずっと我慢してきたのだ。彼女と初めて出会って以来ずっと・・・。妙に私の神経を苛立たせる彼女の欠点、今日こそ積もり積もったこの鬱憤を晴らしてやる。

これを突きつけてやったら、彼女は一体どんな顔をするだろうか?泣こうが喚こうが絶対にやってやる。私の我慢はもう限界だ。一瞬キャシーの怯えた表情が頭に浮かんだ。構うもんか。私はもう決めたのだ。今日こそ本懐を遂げるのだ。この数ヶ月のフラストレーションから自分自身を解放するために―。


「郷に入れば郷に従え」よそ様のお国に行った時、基本その国の習慣や文化に従うようにしている。お互いの「違い」をブータラ言っても仕方ない。「なるほどー、おたくではこうするんですな」と素直に相手のやり方を尊重すれば、いろいろと話は早い。また、その「なるほどー」の部分が、旅の醍醐味でもあると思うのだ。

そういった「違い」を楽しむ性質なので、外国に行った時も、あまり現地でイラっとすることはない。大抵は機嫌良く過ごしている。だが、ほとんど「里帰り」感覚で20年以上行き来しているアメリカで、未だ目にする度に「イイイーーーーーッ!!」と歯軋りしたくなることがあるのだ。人に対しては結構忍耐強いほうだと自負する私を、「もう我慢ならねー!」とぶち切れる寸前まで追い詰めるもの―。それは「アメリカ人女性の産毛」である。

男性にはオンナの舞台裏を見せるようでちょっと気が引けるのだが、大方の日本の女性は、顔や体の産毛やむだ毛のお手入れは欠かさない。特に顔の産毛の場合、メイクののりにも関わってきたりするので、こまめに処理している人は多い。というより、それは女性としての「嗜み」、「基本」になっている―と言ってもいいと思う。男性の髭剃りのように毎日する必要はないが、一週間や十日に一度―というように、それは「時々必要な習慣」なのだ。

アメリカ人女性にとってもそれは同じ。特に彼女達は脚(大抵は膝下)のむだ毛処理には余念がない。「バスルームでシャワーを浴びる時=むだ毛処理タイム」だ。脱毛・除毛クリームの類も売っているが、大部分の女性は手軽さからかみそりを使用している。「今日寝坊して慌ててたら、その勢いで膝小僧の所切っちゃったわ」などという会話が結構頻繁に聞こえてきたりする。「毎日のシャワーのついでの脚のむだ毛剃り」は、彼女達の不可欠な習慣なのだ。

だが不思議なことに、脚のむだ毛にはそれだけ神経質になるにもかかわらず、彼女達は顔の産毛にはまったくの無頓着なのである。それこそ血が出るくらい脚のむだ毛はジョリジョやるくせに、「顔の産毛?どうして剃るの?」ときょとんとしている。中には「やだー!顔を剃るなんて、男の人みたいじゃないの」などと言う人もいる。

「顔の産毛処理は当たり前」の国から来た私からすると、「えー!?なんでー!?」と不思議で堪らないのだが、彼女達にとってはこちらのほうが不思議らしい。「そんなことして怪我したらどうするの?」と眉を顰める。

だから、すぐ隣、数十センチの距離から彼女達の顔を見ると、「おおこれは・・・」と絶句する時があるのだ。パウダーファンデーション等は、肌に付かずにその上を覆っている産毛にのって浮いてしまうので、全体的に粉っぽいというか、黄な粉をまぶしたお餅みたいになっているし、口の周りはうっすら髭が生えているように見えるのだ。大変失礼だと思うが、日本人に比べて毛穴も大きいし、顔全体の造りも大きいので、結構グロテスクな感じになる。

もちろん、化粧品売り場のおねえさん達等、そういった特定の職業の人達はちゃんとお手入れをしているので、ツヤツヤスベスベお肌の人が多いのだが、その他大勢の一般の女性たちは「なんかヒゲ生えてねーか?」というケースがほとんどだ。

友人のキャシーも「顔の産毛剃り?やだー!こわいじゃなーい!」とのたまう大勢の中の一人だった。彼女とは、当時私が日本語教師として勤務していたカリフォルニア州サンディエゴの公立小学校で出会った。私よりも3歳年上で、3年生のクラスを担任していた。

人間というのは面白いもので、時として、人種や国籍を超えて妙に馬が合う相手と出会う時がある。私とキャシーがまさにそれだった。彼女と初めて会った瞬間、「ほえ~!何でこの人学校の先生なんてやってるんだろ。ハリウッドデビューできるじゃん」と、まずその美貌に驚いた。

何というか、日本人が「外人」と聞いてまず思い浮かべるような、「生まれ変わったらこんな外見になりたい」と誰もが思うような容姿をしていた。深いブルーの瞳と生まれつきのキラキラのブロンドヘアー、肌はクリーム色にうっすら桃色を溶かし込んだような色で、180センチ近い長身に長い手足―まさにモデル・女優級のルックスなのだ。

「モデルとか女優になれるんじゃない?」仲良くなってからそう言ったことがあるのだが、彼女は無関心だ。「んー。何度もスカウトされたことあるけど私そういうのに興味ないから。知的な仕事がしたいの」父親が大学教授、母親が小学校の校長という、堅実な家庭で育ったせいかもしれない。浮ついたところのない人だった。

「なんっつーもったいない!」と誰もが思うようなルックスをもった彼女だが、一番の魅力はその人柄だった。昼休み、ランチを食べていると、嬉々とした表情でやって来て、「ねえ見てて!今から『サンディエゴ水族館のセイウチがくしゃみしたところ』やるから」と、まさかの顔芸を平気でやったりするのである。器官に入ったオレンジジュースにむせながら、セイウチの真似を繰り返す彼女を見て「こいつは本当にいいやつだ」としみじみ思ったものだ。

キャシーはキャシーで、「いつも冷静につっこみを入れる」私がツボだったらしい。どこに行っても私はこんな調子で変わらないのだが、キャシー曰く「こんなにちっちゃくて可愛いのにこのコったら強烈なこと言うわね。まるでミツバチみたい―って思ったの。そのギャップが面白いコだなーって」らしい。

まあそんなこんなで仲良くなり、プライベートでも一緒に遊んだり出かけたり、時々週末等には彼女のアパートに泊まりに行ったりするようになった。だが、気心が知れた仲になると同時に、気になることが出てきた。やはり仲良くなると、それに伴い、お互いの身体的な距離―パーソナルスペースも小さくなってくる。間近でキャシーの顔を見る機会が増えるにつれて、やはり必然的に彼女の顔をしげしげと眺めることになるのだが、キャシーの顔の産毛が気になりだしてきたのだ。

体毛が色素の薄いブロンドだったせいもあり、最初は気づかなかったのだが、ある時太陽燦々のビーチで隣に座っている彼女の顔を見た瞬間、「ちょっとまてぇーい!」となった。光線の加減で、細かい産毛がはっきり見える。「みっしり」というか「ぎっしり」というか・・・キャシーの顔面が金色の産毛で埋め尽くされているではないか。加えて口の周りが一段と濃く、まるで金色の口ひげを生やしているように見えるのだ。

「げ!これじゃ『(新宿)2丁目』の人だよ!美貌が台無しじゃん!」と思った私は、「ねえキャシー、顔の産毛剃らないの?」と聞いてみた。

「剃るわけないでしょ!こわいじゃない!」「なんで?脚のむだ毛はいつも剃ってるじゃん」「脚は脚!顔じゃないもん!」「え~、脚の毛剃るんだったら顔も剃ろうよぉ~」「怪我したらどうすんのよ!?絶対にイ・ヤ!」「この前私のほっぺ触って『つるつるで赤ちゃんみたい』って言ってたじゃん。剃ったらつるつるになれるよ?」「うー・・・言ったけどさ・・・」「じゃ剃ろうよ!つるつるお肌をゲットするために!ね?」「えー・・・でも・・・ダメ!やっぱりヤダ!」

思いのほか強いキャシーの抵抗にその日は渋々撤退したのだが、私は諦めたわけではなかった。「いつかぜってぇーに剃ってやる!」心の中で密かにそう誓っていたのである。


そして「その日」がやって来た。金曜日。夜にキャシーの彼氏のトビーと、その友達のダグと4人で「バッドマン」と「007」の二本立ての映画を観に行くことになっていた。私はそのままキャシーの家に泊まり、翌日は朝から2人でバーゲンのはしごをする予定だった。一旦家に帰り、お泊りの準備をしている時に決めたのだ。密かに温めていた計画を実行することを。そして「秘密兵器」をバッグに忍ばせたのだった。


その夜、私はキャシーがシャワーから戻ってくるのを、リビングのソファでじりじりしながら待っていた。乳液と新品のかみそりをクッションの陰に隠して。計画の実行は、ぎりぎりまで悟られないほうがいい。勘のいい彼女に気づかれないように気をつけないと・・・。

その時、彼女がリビングに入ってきた。鼻歌を歌いながら私の横に腰を下ろす。チラッと見ると、シャワーを浴びたせいか、血行も良く、さっぱりとした顔をしている。産毛も柔らかくなっているはずだ。産毛剃りには絶好のタイミング。

「ねえ、顔のマッサージしてあげよっか?」「してして!」「じゃあここに頭を乗せてくださーい」「はーい♪」「目をつぶってくださーい」「はーい」「乳液をつけまーす」「はーい」(・・・)「どうですかー?気持ちいいですかー?」「気持ちいいー。寝ちゃいそう・・・」

そのまま後ろ手にクッションの陰からかみそりを出し、キャシーの顔にそっと当てた。「はーい、そのまま動かないでくださーい。産毛剃りまーす」「はーい・・・ってちょっと!何を剃るって!?」「はいはい、動かないでねー。危ないよー」「きゃー!やめてー!こわいー!」「ほらほら、動くと危ないよー。いい加減に観念してくださーい」「ぎゃあーーー!」

剃り始めると、観念したのか彼女は動かなくなった。ギュッと両目を瞑っている。ふと彼女の手を見ると、両手の人差し指と中指をクロスさせている。「ちょっとキャシー、何よそれ?」「・・・だって怖いんだもん」「あんた本当に大袈裟だね・・・」彼女は「good luck」の形に指を交差させていた。

「はい!終わったよ~。手で触ってみ」「すっごーーーい!自分の肌じゃないみたーい!すべすべだぁ!」「明日のメイクののり、全然違うよ」「本当?すごく楽しみ~!」

翌朝、キャシーがバスルームから踊りながら出てきた。「ふふーん♪見てみて!いつもと違うの~わ・た・し♪」と顔をぐいっと近づけてくる。「おー!いいじゃんいいじゃん!さらに美しくなったじゃん!」

産毛剃りの効果は抜群だった。もともと綺麗な人だが、肌に透明感が出て、さらに垢抜けたような感じになっている。もう「黄な粉をまぶした餅」でも「2丁目の人」でもない。

「ね?やっぱりやってよかったでしょ?」「本当!今まで損してたかも~お礼に今日はランチを奢っちゃう!」「ラッキー!」かくして「キャシーの産毛剃りミッション」は、大成功のうちに完了したのだった。

「顔の産毛を剃るのは怖くない」ということを体得した彼女は、その後こまめに自分の顔のお手入れをするようになった。あれほど怖がっていたくせに、今ではすっかり手馴れた様子だ。まったく現金なものである。

それから少ししてから買った有名女性誌のスキンケア特集のキャプションに、「どうして日本人女性の肌は美しいのか?なぜなら彼女達はスシを食べているからだ」という訳の判らない一文があった。「この記事書いた人、何にもわかってないわね!秘訣はスシじゃなくて顔剃りよね?!編集部に投書してやろうかしら!」キャシーがえらく憤慨しているのが妙におかしかった。

「所変われば」と言うけれど、肌の手入れの仕方ひとつにも、それぞれお国柄が出ているようで面白い。やっぱりアメリカ人は大雑把だ。アメリカに行く度に、顔の産毛をボーボーにしたままで平気な顔をしている女性を見ると、かみそり片手に「ちょっとあなた!剃りなさいよ!」と、毎回詰め寄りたくなる衝動を抑えるのに苦労している私である。






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彼らの憂鬱

 2009-11-19
アリゾナ州のナバホ族居留地内にあるレストランで友人と食事をしていた時のことだ。場所柄、レストランで働く人もお客も、私を除いては全員ネイティブアメリカンという状況だった。

隣のテーブルの家族が、注文を取りに来た女性とナバホ語で話す様子を見るともなしに見ていたのだが、ふと思いついて、一緒にいたナバホ族である友人のドリーンに聞いてみた。「ねえ、家族と話す時ってナバホ語なの?」

ドリーンは30歳の生粋の、いわゆる「フルブラッド」のナバホウーマン。ネイティブアメリカンの社会において、彼女のような若い世代にはめずらしく部族の言葉を完璧に話し、伝統や習慣、文化等にも精通している。部族の歴史やしきたりを重んじる「伝統派」の家庭で育ったということが大きく影響しているだと思う。

「うーん、大抵はね。でも話す相手にもよるかな。おばあちゃんはほとんど英語が話せないから当然ナバホ語オンリーになるし。両親や兄貴達とは英語の時もあればナバホ語の時もある。英語で話しかけられたら英語で答えるし。その時の気分次第って感じ?

一番下の弟は簡単な言葉くらいなら大丈夫だけど、ナバホ語はほとんどお手上げ状態だから当然英語で話すことになるかな。おばあちゃんと弟の会話ってちょっとした見ものよ。お互い相手に自分の言いたい事を伝えるのに悪戦苦闘してるの。まあ結局は私達が間に入って通訳することになるんだけど」ドリーンは苦笑まじりに答えた。


現在ネイティブアメリカンの社会では、英語を理解しない祖父母世代と、生まれた時から当然のように英語が周りに溢れている環境で育った若い孫世代(特に10代から20代)との間に横たわる「コミュニケーションギャップ」の問題を、文化や伝統の喪失の根源になるものとして大変深刻に捉えている。

「伝え手」である高齢者層の人口が年々減少していることや、ネイティブアメリカン以外との婚姻による「混血化」の増加、「生まれながらのアメリカ人」でもある若い世代の部族文化離れ等の現状を、一民族としての「生き残り」をかけた問題とまで断言する人達も多数いる。

今現在、北米大陸に存在する部族は約500。そして250の部族語が確認されているが、人口の減少に伴う言語の消滅等が原因で、実際に日常的に使用されているのはその中の155のみと言われている。

また、属する部族語の完璧な話し手の数は、ネイティブアメリカンの総人口約243万人(2000年調査時点)のうち3分の1であるということが判明している。その中でも、ナバホ、イロコイ、ピマ、アパッチ、ラコタ・スー族の言語継承者数はかなり高いらしい。

実際、私のラコタ・スー族の友人であるチャックは、家ではラコタ語しか使わない。メディスンマンや部族の長を多く輩出した家系の出であり、自身もネイティブアメリカン社会の中のスピリチュアルリーダーの一人であるという自負もあって、部族の歴史や言葉を子々孫々に伝えていくのが自分の使命と認識しているからだ。

その甲斐あって、彼の5人の子供達は全員ラコタの言葉を自在に操ることができる。今はその中の3人が結婚し、7人の孫がいるのだが、その孫達と話す時もラコタ語しか使わないという徹底振り。だから彼の子供や孫は全員、英語とラコタ語を話すバイリンガルだ。

孫世代まで部族語を完璧に話すことができるというのは、ネイティブアメリカンの社会でも稀有なことだ。「ラコタのすべて、ラコタの魂を伝えるにはラコタ語でなければ」彼の信念というか、もっと切実な、執念とも言えるような、強い想いの賜物だと思う。


1992年10月26日、ブッシュ大統領は、ネイティブアメリカンの文化及び言語消滅を食い止める為、部族語教育に必要な設備や技能の習得、教材開発、教育者や通訳者の育成、幼児向け言語教育、部族の歴史の編纂等を含むプログラムを認可する法案に正式署名した。

現在も熱心な取り組みがなされているが、ドリーンの家族のケースのように、国家を挙げての一大プロジェクトの効果は、まだまだ個人レベルにまで浸透しているとは言えないようだ。

「週に2回、ナバホ語を居留地の小学校で教えてほしい」州政府からドリーンの父親に要請があった時、おばあさんはこんなことを言ったらしい。

「まったく白人のやることはよくわからないねえ。昔はナバホ語を話しちゃいけないとか言って、子供達を無理矢理親元から引き離して遠くの寄宿学校に入れたりしてたのに。今度はその逆だなんてねぇ。いつになったらあの人達はわたしらを放っておいてくれるようになるんだろう」


1870年~1950年代にかけて、アメリカ政府はすべてのネイティブアメリカンに対して「白人化教育」というものを行った。その名の通り、ネイティブアメリカンであることを捨て、「白人」になる為の教育。そこではネイティブアメリカンとしてのアイデンティティーを徹底的に否定され、それを捨て去ることを強要される。

特に子供達は故郷から遠く離れた寄宿舎に入れられ、言語や習慣といったものを含め、「白人」になる為の教育を受けさせられた。部族語は一切禁止。規則を破れば何年も家族との面会を許されなかったり、厳しい罰が与えられたり―といったものだったらしい。

ナバホ最大の居留地があるアリゾナ州の州都フェニックスには、ネイティブアメリカンの文化や歴史、ジュエリーや工芸品等を展示した博物館「Heard Museum」がある。その展示の中に、「白人化教育」の歴史や、実際にそれを体験した人々のインタビューのVTRが流れているコーナーがあるのだが、その内容はかなり悲惨なものだった。

禁止されている部族語を使用した為に鞭で打たれたり、口の中に石鹸を突っ込まれたり、あまりの辛さに脱走を試みた子供が、罰として数日間一切の食事を与えられなかったり。そこで行われていたことは「教育」ではなく、「虐待」そのものだった。

現在50代半ば以上の人達は、その「白人化教育」を受けた世代なのだが、当時のことは家族に対しても話したがらない人が多いようだ。「思い出したくないんだよ」そう言ったきり口を開こうとはしない。それがどれだけ悲惨なものだったかということは、彼らの様子で想像できる。実際、その当時の体験が元で、居留地の外の世界、「白人」と一切の関わりを持とうとしない人も多いのだ。


多くのネイティブアメリカン達は、自分は一体何者なのか、「アメリカ人」なのかそれとも「ネイティブアメリカン」なのか―というジレンマを抱えている。それぞれ異なる背景をもった「~系アメリカ人」が混在するアメリカではよくある種類のものなのかもしれない。

だが彼らのそれは、他の多くの「~系アメリカ人」の人達が抱えるジレンマとは異なるような気がする。もっと「影の部分」が濃いような気がするのだ。それは「禁忌、タブー」と言ってもいいかもしれない。日本の、いわゆる「在日」の人達が抱えているものと共通している部分が多いようにも感じる。

移民社会であるアメリカという国で、自分のルーツを全否定され、それを捨て去ることを強要された歴史を持つのはネイティブアメリカンだけ―ということも影を落としているのかもしれない。


1980年代くらいから、「ネイティブアメリカンに学べ」という大々的な風潮が起こってきた。彼らの理念や哲学といったものが、書籍や映画といったものを通じて世界的に、特に欧米諸国を中心に広がっていった。物質主義に凝り固まった先進国では、ネイティブアメリカンのシンプルな生き方や思想は、新鮮な驚きや感動をもって迎えられた。

そしていつの間にか、「ネイティブアメリカン=誇りある精神性の高い聖なる人々」という位置付けがされ、構図が出来上がっていった。それを受けて、日本でも熱狂的な「ネイティブアメリカンファン」が増えていった。無条件に彼らを賛美崇拝、憧れ、彼らの文化特有の儀式等に参加したがる人達、ネイティブアメリカンになりたがる「ワナビー、熱烈なファン、信奉者(wannabe→『I wanna be an Indian』から)」が数多いる。

だが率直に言って、今も続いている世界的なネイティブアメリカンブームや捧げられる崇拝や賛美とは裏腹に、現在でもアメリカでの彼らの扱いは「先住民の野蛮な人々」の域を出ていない。

小学校等では「ネイティブアメリカンの人達のことを学ぼう」というような授業が行われているのだが、そこで生徒達から出る質問は「彼らはまだティピ(テントのような移動式住居)に住んでるの?」「何を食べてるの?」「英語は話せるの?」という、「未開地の人達」に対するそれとほとんど変わらないものなのだ。大人でさえ同じレベル。無知というか、関心さえ抱かない人が大半というのが現状だ。

以前フェニックスの空港からタクシーに乗った時のことだ。「アリゾナには仕事で?休暇で?」「仕事で。日本でインディアンジュエリーを扱う仕事をしてるから買い付けに来たの」

挨拶代わりというか、明らかにお義理で私に話しかけた様子のドライバーの60歳くらいの男性が、その時バックミラー越しに、まじまじと私を見た。「インディアンジュエリー?日本で売れるのかい?」「ええ、人気がありますよ。根強いファンも多いし」

その人は「ふーん」と言ったきり、しばらく黙っていたのだが、また話しかけてきた。「どうして日本人がネイティブアメリカンに興味を持つんだ?映画の影響なのか?」「まあそれもあるとは思うけど。でも多くの人は彼らの哲学みたいなものに共感するんじゃないかな。日本人のそれとよく似てるから。日本人と彼らの祖先は同じモンゴロイドで容姿も似てるところがあるから、親近感みたいなものがあるんだと思う」

黙って私の話を聞いていたその人は、こう言った。「俺にはまったく理解できないね。よりによってどうしてネイティブアメリカンなんだ」最後の方は、ひとり言のように聞こえた。何というか、微妙なニュアンスがいろいろと含まれていた。そしてその大半は、決して「良い」とは言えない類のものだった。

その人だけでなく、ネイティブアメリカンに無関心、もしくは無知、偏見の類を抱いているアメリカ人からすれば、わざわざ彼らに関わろうとする私など、完全な「変わり者」であり「物好き」でしかないのだ。

いくら世界的に「聖なる人々」ともてはやされても、やはりアメリカ国内での人種差別や無理解は今でも根強く存在する。いろいろな意味で、彼らと「アメリカ人」との一線は、「よそ者」である私にも、時に痛いほど強く感じられるものなのだ。決して交わることのない二本の線。そういった場面に遭遇する度、いつもそのイメージが頭に浮かんでくる。

また、彼らも大きく3つのグループに分かれる。「ネイティブアメリカンであることに誇りを持ち、それを表に強く押し出す人達」と「そうでない人達」。そして「時と場合によって自分のポジションを使い分ける人達」。その三者の間には、それぞれに軋轢が存在する。

部外者である私には、それが良いとか悪いとかジャッジする権利もないし、する気もないのだが、三者に共通して感じることは「ジレンマ」と「痛々しさ」だ。

チャックやドリーンのように、自分の存在意義を「ネイティブアメリカンであること」に置いて、それを軸として堂々と人生を歩んでいる人達を見ても、時に「悲壮」に近い彼らの「意地」のようなものを感じてやるせない時もあるし、ひたすら自分のルーツを隠し、忌み嫌いながらも、それを完全に否定することに迷いを感じている人達の葛藤を見せられたり感じたりすると、複雑な気分になる。

自分には決して、完全には理解できない領域のものがこの世には存在するということを強く認識させられるのだ。

アメリカ国内でのネイティブアメリカンの自殺率、特に青少年のそれが、他の人種に比べて飛び抜けて高いのは、やはりそういった背景が少なからず影響しているのだと思う。

「自分は一体何者なのか?」それが自分自身でも分からない、決められないということは、自分の存在意義やアイデンティティーを脅かし、不安定にさせる。そのアンバランスさやジレンマが絶望のようなものを与えるのだと思う。

その絶望がどれだけ深いものなのかは、「何人か?」と問われれば、何の躊躇いもなく「日本人です」と即座に言える私には、多分永遠に理解できない質のものだ。そして、時折ふとした時に彼らが見せる憂鬱そうな表情の奥にあるものの正体や、それがどれだけ大きく重く、彼らの心に影を落としているのかということも。


食後のお茶を飲んでいた時、ボーッと窓の外を見ていたドリーンが唐突に言った。「アメリカ人とか、ネイティブアメリカンとか、ナバホとか・・・どうして『ただのドリーン』じゃいけないのかしらね」彼女は相変わらずぼんやりと外に目を向けたままだ。でもその時の声のトーンや目に浮かんでいる表情は、いつもの彼女のそれとは完全に異なるものだった。

何か言おうと思ったのだが、なぜか言葉が浮かんでこない。「・・・そうだね」結局私はそれしか言えなかった。そして、ドリーンと一緒に、しばらく黙って外を眺めていた。

”Who am I ?” 自分は何者なのか?

多分彼らは命が尽きる時まで、自分自身にそう問い続けるのかもしれない。その答えがいつ出るのか、どんなものになるのか―それは彼ら自身にもわからない。いつ終わるともしれない「自分探しの旅」は今後も続いていくだろう。心のどこかに常に存在している、決して消えることのないある種の憂鬱さと一緒に。

*ブログ内のすべて文章の著作権は、カンテ・イスタ 樫田ミラに属します。文章の論旨・表現等の盗用や剽窃、無断引用を禁じます。当方のブログの内容や表現を無断でそのまま用いる方、少々の手直しを加えて、自分のオリジナルのように装う方がいらっしゃるようですが、モラルを守ってくださるようお願い致します。

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アメリカにて「星を見ていただけなんです・・・」

 2009-08-26
アリゾナやニューメキシコ等、アメリカ南西部では夜間の照明が規制されている地域がある。それは星空を守る為。星明りを妨げない為の配慮で、外灯も必要最小限しか配置されていない。もっとも土地が広過ぎて人口密度が低いので、外灯が少なくてもそれほど困ることはないのだが。

観光客が集まる宿泊施設や商業施設の周辺でもそれは同様だ。照明の色も、間接照明で使われる柔らかいオレンジ色の灯りが大半。日本の都市部のように、昼間と見間違うような煌々とした明るさはない。

以前ナバホの居留地に住むウィーバー(ラグ織職人)の女性を訪ねた時、ちょうど彼女の中学生の孫娘が遊びに来ていた。私が日本から来たと知ると、「日本ってラスベガスみたいだよね!」と言う。「は?ラスベガス?」「うん!だって夜でも街が明るくてキラキラしてる」

聞けば1週間ほど前、テレビで「ジャパン特集」を見たらしい。その時に東京の繁華街の様子が映っていて、夜でもキラキラしている街が、彼女にはラスベガスのように見えたらしい。「なるほどねー、ラスベガスか・・・」思いもかけないその喩えが、妙に新鮮だった。

東京や大阪等の大都市に住んでいると、「街中は明るくて当たり前」という感覚があるので、外灯のことなど特に気にかけたこともなかった。むしろ、駅やビル等の公共・商業施設等で蛍光灯が1つ切れただけでも「なんか暗い」と感じるのは、その過度の明るさに慣れてしまったからなのだろう。

そういえば、Google Earthで「世界の夜」という衛星からの画像を見た時、日本は、北海道から九州まで、日本列島の形がはっきりと確認できるくらい光で満たされていた。「光で作られた日本地図」といった感じで。だが、アリゾナ、ニューメキシコ、テキサス等のアメリカ南西部付近は、黒い部分―明かりのない暗闇の部分が大半だった。(山岳・砂漠地帯が多いということもある)

アリゾナの大自然の中の居留地で生まれ育った彼女の目に、日本の夜の街がラスベガスのように映るのも当然のことなのかもしれない。

空気もきれいで外灯も少ない―当然星がよく見える。アリゾナを初めて訪れた時、何気なく見上げた夜空に、それこそ降るような夥しい数の星が光っている光景を見て、その場で固まってしまったことがある。

「空にはこれだけの星があるのか・・・」その迫力に圧倒された。昔信州で見た星空も圧巻だったが、アリゾナの星空は更にそれを超えていた。ハッと我に返ると首が痛くて動かせない。「痛ッたぁー!」下を向けないので腕を目の高さにまで持ち上げて時計を見ると、かれこれ40分近くもその場に突っ立って空を見上げたままだった・・・。

それ以来、アリゾナやニューメキシコに行く度、夜は必ず外に出て空を眺めるようになった。もともと星を見るのが好きで、小学生の頃からプラネタリウムに行ったり、星座板を買ってもらったりしていた。星座に関連したギリシャ神話もよく読んだ。

1967年生まれの私が子供だった頃は、首都圏でも結構星は見えていた。小学校の理科の宿題でも、「北斗七星とオリオン座の星の動きを時間ごとに観察しなさい」というのがあったくらいだ。だが、年々星が見えにくくなっていくこと、歳を経ていくのと比例して忙しくなる生活に、しげしげと夜空を見上げる機会も少なくなっていった。

が、アリゾナで星空を見たことがきかっけで、往年の「お星さまを観察しよう!魂」にまた火がついてしまった。

世間が寝静まった深夜1時くらいに、こっそりと部屋を出る(別に「こっそり」でなくてもいいのだが)。そのままホテルの建物の裏手、駐車場と隣接したサッカーコートくらいの広さの芝生の庭に向かう。そしてそのまま芝生の上にゴロンと横になる。頭の上には満点の星―。これがとにかく気持ち良いのだ。

日本で同じことをしたら不審者として職務質問をされそうだが、ここはアメリカ。深夜で宿泊客も寝静まっているし、周りには人っ子一人いない。邪魔されることなく、好きなだけ空を眺めることができる。大地に寝転がるというのも、自分が地球と繋がっているような感覚がして心地が良い。

その晩も、そうやって星を眺めていた。流れ星の数が信じられないくらい多い。時々衛星や飛行機が通過したりする。「あの星の光は何光年かな~」「あそこにある星はいつ生まれたのかな~」などと取りとめもなく考えていた。


が、次の瞬間、私は誰かに激しく体を揺さぶられるのを感じて飛び起きた。「Hey! Are you OK?(ちょっと!あなた大丈夫?)」見ると横には、心配そうに私を覗き込む60代くらいのご夫婦がしゃがみこんでいるではないか!「え?あ?Yes, I'm OK. Thank you...(大丈夫です。ありがとう)」

咄嗟のことで状況もわからず、何がなんだか訳が分からないままそう答えると、お二人はホッとしたように口々に言った。「よかった~駐車場に車を止めようとしたらライトの先に誰かが倒れているじゃないの!死んでるのかと思ってびっくりしたわよ~一体こんな所でどうしたの?!」「まったくだよ!驚いたの何のって!こんな時間にここで何をしてるの?!」

どうやら私は星を見ながらいつの間にか眠ってしまったらしい。そういえば遠くで誰かが「大変だ!誰か倒れてる!」と叫ぶ声がしていた。その声を聞きながら「あら!それは大変!」と思っていたのだが、その「大変な人」は私だった・・・。

「す、すみません。あの、でも、星がきれいだったから見ていただけなんです・・・寝ながら見ると首が疲れないし楽だし・・・あの・・・その・・・本当にごめんなさい!」恥ずかしさでしどろもどろになりながらそう言うと、そのご夫婦は「まあ確かに星はきれいだけど・・・」と呆れた顔をしていた。

「もう遅いから部屋に戻ったほうがいいわ。さ、私達と一緒に行きましょ」背の高いお二人に挟まれてエントランスまでトボトボ歩く私は、悪いことをして補導された中学生の気分だった・・・。「ま!背中にこんなに草と土をつけて!」髪やTシャツの背中を奥様に払ってもらって、完全に「しょーもないコ」扱いされた私はまったく立つ瀬がなかった。


翌朝、フロントで両替してもらっていると、後ろから肩をポンと叩かれた。振り向くと昨晩のご夫婦がニコニコしながら立っている。

「あ、昨日はいろいろとありがとうございました。お騒がせしてすみませんでした」「今日も星を見るの?」「え?うーん・・・また死体に間違われたらと思うと・・・」「そうね~、びっくりしたわよ~(笑)横に看板立てておいたら?『心配しないでください。ただ今星の観察中です』って」「あ、それいいですね~」

事情を知ったホテルのスタッフが、笑いながら折りたたみ式のデッキチェアを貸してくれると言ってくれたのだが、結局お借りすることはなかった。やっぱりゴロンとアリゾナの大地にそのまま寝転がって見るほうが断然いい。空と大地の間にサンドイッチされるあの感覚が気持ち良いのだ。イスを使えば身体的には楽だし快適だとは思うが、何となくその感覚が妨げられるような気がする。

いくら髪や背中に草や土が付こうか、死体に間違われて驚かれようが、やっぱり「地面に直接ゴロリン」は止められない。いい歳したアラフォーの人間のすることとは思えないが、でも私はまた深夜こっそり外に出て、アリゾナの大地の上で、キラキラのお星さまを心ゆくまで堪能するのだ。



【追記】
ある時、例によってアリゾナで星を見ながらホルストの「惑星」を聴いたのだが、鳥肌ものの「神の領域」だった。きれいな星空の下で「惑星」を聴く―おすすめです!




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