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無意識の本音

 2010-12-05
心理学者であると同時に医師でもあったミルトン・エリクソンは、「20世紀最高のヒプノセラピスト」と言われている。ある日、彼のもとに、周期性疲労症候群に悩む女性が訪ねてきた。彼女は病気でほとんど働くことが出来ない状態にあった。その症状を改善したいために、ヒプノセラピーの施術を依頼してきたのだ。

施術前に行った問診で、いろいろなことが判ってきた。その女性の家族は、働くこともままならない彼女のことを非常に気にかけていた。病気になって以来、生活の面倒はすべて家族が見てくれていた。ある意味、彼女は病気になったことで「快適な生活」を手に入れた。働かなくとも家族が手厚く面倒を見てくれる。何の心配もない。彼女の無意識には、いつしかこんな気持ちが生まれた。「このまま病気でいよう。病気のままでいたほうが楽だ」

問診を終えるとエリクソンは言った。「今日のところはお引き取りください。本当に自分を変えたいと思うまで、ここには戻ってこないように」その女性には、病気を治そうとする気がまったくなかった。エリクソンはそれを見抜いたのだ。その後、その女性がエリクソンを訪れることは二度となかった。


「辛い」「苦しい」自分が置かれている状況について、いくら本人がそう強く訴えたとしても、そこに何らかの「メリット」が存在する場合、人は絶対にそれを手放そうとはしない。本人にとって、本当にそれが辛く苦しいものであるなら、本気でそこから抜け出す気があるなら、とっくにそうしているはずなのだ。

その人が抱える「事情」を考慮したとしても、結果は同じ。あえて断言するが、その状況に本人がい続けるのは、結局「その気がない」ということなのだ。エリクソンを訪れたこの女性のような人は、セラピストやカウンセラーをしている人間にとっては「お馴染み」のタイプ。決してめずらしくはない。

「今の自分を変えたいんです!このままじゃ嫌なんです!」涙ながらにそう言ったとしても、その言葉が「真実」とは限らない。その人が本気でそれを言っているかどうか―その人の様子を観ていれば、それは徐々に明らかになってくる。


心と体と魂は三位一体だ。その三つの要素が揃って初めて「その人」になる。それらすべてが「調和」しているかどうか―それがその人の「本心」を読み解く鍵なのだ。「口ばっかり」という言葉があるが、まさにそれ。口ではあれこれ言うものの、まったく行動が伴わない。「本気でない人」は、その状態にある。心と体と魂の状態がバラバラなのだ。

例えば、カウンセリング中、その人の悩みに対して新しい別の観点や方法を提示したとする。「こう捉えてみてはどうですか?」「こういう考えもできますよ」「その部分をこんなふうに変えてみては?」だが、その人達は決まってこう言うのだ。「でも・・・」「だけど・・・」「そうは言っても・・・」

「でも」と「しかし」しか言わない人を、私達の世界では「でもしか人間」と呼ぶ。彼らはそれに終始する。こちらが何を言っても、「でも・・・」「だけど・・・」を繰り返す。必ず提案を否定するのだ。そして、「それをできない理由」を挙げ始める。

奇妙なことに、「言い訳」を並べ立てている彼らは、一様に、ある種「得意げ且つ満足気な表情」なのだ。中にはどう見ても「嬉々として」いるようにしか見えない人もいる。「こうこうこうだから無理だと思います」「でもそれをしたら多分こうなると思うんです」言葉と表情にギャップがあるのだ。まったくマッチしてない。

反対に、こちらが新しい観点や方法を提示している時、「それを試したら上手くいきそうな方法」「今よりもっと楽になれそうな考え方」が出てきた時、彼らは不服そうな顔になる。すねているというか、落胆しているというか―それらが入り混じった表情になるのだ。

要するに、彼らは本気ではないのだ。言葉ではあれこれ言うものの、今の自分や自分の状況をまったく変える気がないということ。その状況を真剣に何とかしようと思っているなら、そんな表情にはならない。辛く苦しい状況から解放される望みが出てきたのだから、むしろ逆の表情になるのが自然なのだ。

「本気の人」は、言葉と表情のバランスが自然だ。「すべて」が調和している。そこが「そうではない人」との大きな違いなのだ。「なるほどー。そういう考え方もあるんですね」「そうか・・・そこを変えてみればいいんですね」その時の表情に思わず見とれることがある。新しい視点や方法に気づいた瞬間、まるで明かりが灯ったように顔が輝くのだ。「人間」に魅せられる瞬間でもある。

その人が「本気でそう思っているかどうか」ということは、表情や身振り手振り、声のトーン―その人の「体」を観ていればわかる。言葉ではいくらでも嘘をつける。だが、体は正直だ。無意識がそのまま現れる。意識が及ばないその部分に、その人の「本音」が出るのだ。

「本気でない人」は、自分の弁護をしている最中―言い訳をしている時は、明らかに表情が生き生きとしてきて、身振り手振りも大きくなる。話し方もなめらかで饒舌になり、声のトーンが上がる。「上手くいきそうになる時」に見せる不服そうな表情は、「同意」「共感」が得られないことに対する不満と、「解決方法」を手に入れることによって「今まで慣れ親しんだ状況」を覆されそうになることへの不安と恐れの表れなのだ。そして、それこそが彼らの無意識からの声、「本音」なのだ。

極端な言い方をすれば、その人が話している内容はさほど重要ではない。それよりも、その人がそれについてどんな表情で、どう話しているか―そこに大きなヒントが隠されている。心理学の世界にはこんな言葉がある。「問題を解決するための材料は、すべてクライアントが持っている」実際、彼ら自身がまさに「身を以って」その答え―彼らの「本心」を教えてくれているのだ。


アメリカで開催された某潜在意識開発セミナーに関する興味深い事例がある。そのセミナーは、脳の学習効率をアップさせることを目的としていた。参加者達は開発された手法を使い、「通常では不可能なこと」「非常に困難なこと」をやすやすとこなしていた。今までまったく習った経験のない外国語の単語を一時間で百個近く記憶する等、自分の中に存在する新しい能力や可能性に触れたことを、多くの人が驚嘆し、喜んだ。

だが、一部の参加者は違った反応を見せた。「今までの自分には不可能だったこと」が成功しそうになると怒り出したり、「自分がそれをできること」に対して傷ついたりショックを受けたりする人が出てきたのだ。そのセミナーに「自ら希望して参加した」にもかかわらず、だ。

この人達も、エリクソンを訪れたあの女性も、「変わりたい」と言いつつ、いざ解決方法が出てくると不満そうな表情でそれを否定し始める人達も、結局は同じなのだ。「本気でそれを望んではいない」ということ。

そして、そこには間違いなくその人にとっての「メリット」存在しているはずなのだ。「変化」がもたらすものよりも、「現状」がもたらしているもののほうが、明らかに価値があるということ。「今のままでいたほうが得」だから、現状を維持し、変化を拒否する。

「ネガティブな要素で自分を成り立たせている人」は特にそうだ。いくら本人が否定しても、それがその人の大部分を占めていたり、「原動力」になっている場合は尚更だ。ましてやそれが「=自分自身」になっているとしたら、自分の存在意義にも関わってくる。もしそれが消えてしまったら、自分も消えることになるのだから。

例えば、周囲からの同情を求める人は、「同情される自分」を変えようとは思わない。「同情」という他人からの関心を自分に集めておくために、「かわいそうな自分」「けな気な自分」でい続けることが必要なのだ。だからその状況が覆されそうになると、途端に抵抗を始める。今の状況が変わってしまったら、誰も同情してくれなくなるからだ。

周囲への怒りや恨みで自分を奮い立たせて生きてきた人もそう。もしそれらを手放してしまったら「今までの自分」「今までの自分の人生」「今後生きていくためのエネルギー」が失われることになる。

それがどんなものであれ、長年慣れ親しんだ状況の変化は、不安と混乱をもたらす。それが自分自身のアイデンティティーや存在意義に結びついている場合は尚更だ。その変化が自分にどれだけ良いものをもたらすか理屈で理解していても、無意識の中に存在する本音はそれを拒絶する。だが、その拒絶は、自分にとってのメリットを十分知り尽くした上でのものなのだ。

結局、「変わらない自分」を作り出しているのは、他ならぬ自分自身だということだ。変化への拒絶は、実は自分の信念やアイデンティティー、メリットを否定されることに対する「抵抗」なのだ。




【追記】セラピーやカウンセリング、セミナーや占い―こういったものをはしごする人というのは、結局この手のタイプかと。自分の気に入る答えが返ってくる相手に出会うまで、その「行脚」は続くのだ。そして、最終的にすべてを「自分以外のもの」のせいにする。

馬を水辺に連れて行っても、馬がその水を飲むかどうかは馬次第。自分で水を飲むことを拒否しておきながら、自分に落ち度はないと言い張るなんて、まったくお気楽且つ傍迷惑な話なのだ。





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身代わり

 2010-12-02
カウンセリングを複数回重ね、その内容が深まっていくと、クライアント(相談者)がセラピストに対して強い感情を抱くことがある。それが尊敬・信頼・好感等肯定的な感情である場合を「陽性転移(陽性感情)」、嫌悪・憎悪・軽蔑・不信等、否定的な感情の場合を「陰性転移(陰性感情)」と言う。

「転移」は、人間関係構築の際のプロセスに必ず含まれる要素だ。ごく軽いレベルのものはどんな人にも見られる。それはあくまでも「正常」な範囲。だが、それが「過度」になると、陽性の場合は一方的な恋愛感情や友情に発展したり、それに伴うストーカー行為等が発生することもある。陰性の場合は、態度の豹変や誹謗中傷等の嫌がらせ行為にエスカレートしたり。

ある程度時間をおいて、「時間差」でそれが起きることもある。特に陰性転移の場合、終始和やかな雰囲気でカウンセリングが進み、機嫌良く帰っていったクライアントが、数ヶ月後に「捨てアド」を利用しての匿名で、性別を偽り、本人以外の第三者を装い、罵詈雑言に満ちた中傷メールを送ってくることもある。

だが、そこに書かれている内容は、書いた本人にそのまま該当することだったりする。昔誰かに言われて傷ついた言葉をそのままセラピストに対して用いたり、実際は自分自身が取っている言動をセラピストがしたことになっていたり。

簡単に言えば、陰性転移とは、今の今まで「あなたのことが大好きです!」と言っていた人が、突然「おまえみたいな最低な人間は大嫌いだ!」と言い出すようなものだ。「スイッチが入った」「地雷を踏んだ」という感じで、それは突然起こる。

言うなれば、カウンセリングを通じて、自分の内面とじっくり向き合ったことによってもたらされた「副作用」のようなもの。今まで封印してきたものを解き放ったショック、あらためて過去の傷に触れて感じた痛み、未だそれに囚われている自分を認識すること―そういったものが感情の混乱を引き起こすのだ。

疾患の治療を目的とする病院等のケースは除き、サロンにもよるが、うちの場合、そこまでの強い転移を起こす人はごくわずか。特に陰性のものに関しては、300人中1人いるかいないか―という程度。今までに3人くらいだ。そのうちの2人は予約を断ったことに対する腹いせで、実際に会ったことはない。

陰性陽性に関わらず、強度の転移を起こす人には「特徴」がある。家族や友人を含む人間関係が非常に希薄、もしくは皆無。過去に激しいいじめや虐待を経験している―という人がほとんど。過去の人間関係に強いトラウマを持っている人も多い。

そういったことも関係してか、彼らは相手を「敵か味方か」「好きか嫌いか」という二元論で区別する。他者との適切な距離が取れない人も少なくない。過度に依存的になるか、過度に攻撃的になるか―極端になるのはそのためだ。

「心の内を率直に打ち明けられる人」「どんな自分も受け止めてくれる人」が周囲にほとんどいないので、すべての感情を自分の中だけで処理するしかない。澱のように溜まっていくそれは、どんどん大きくなっていく。その分、吐き出す時の「反動」は大きい。それが転移の「強さ」に反映される。転移が起こる背景には、こういったクライアント側の事情が深く関係しているのだ。

いくら本人が「違う」と言い張ったとしても、「転移」に伴うその感情は、セラピストに対して向けられたものではない。言うなればフェイク、「偽物」なのだ。実は、それは「クライアント自身が、過去に家族や友人等特定の人達―主に両親に向けていた感情」なのである。

自分を認めてくれなかった両親、子供の頃に自分をいじめたクラスメート、自分を無能呼ばわりした元上司―クライアントの意識下には、その人達に対する感情が、未解決・未消化の状態で存在し続けている。本来その人達に向けるべき感情の矛先を、彼らはセラピストに向けている。いわば、セラピストは「身代わり」なのだ。その人達に代わって、クライアントの感情を受け止めている状態にあるということ。

「転移」が起こっている時、クライアントは、セラピストに「特定の人達」の姿を重ねている。その人達とセラピストを混同・錯覚している―と言ってもいい。そして、クライアントは自分の中に湧き上がってくるその感情が、すべてセラピストに起因していると思っている。

だが、その原因は、あくまでも「彼ら自身」なのだ。彼らの意識下に存在し続ける「特定の人達に対してかつて抱いていた感情」が、それを引き起こしているのだ。カウンセリングやセラピストは、「きっかけ」に過ぎない。

大抵の場合、クライアント本人にその自覚はない。わざと認めていないのか、まったくその存在を知らないのか、それともただ忘れているだけなのか―多分、そのどれもが「本当」なのだと思う。

しかし、どんな形であれ、そういった感情の存在を本人が自覚していないのであれば、目の前にいる人間がその感情を引き起こしている原因だと思い込むのも当然のことなのだ。今ここには自分とセラピストしか存在しない。自分がこんな状態になった原因はこの人にあるに違いない―クライアントはそう思い込む。


人間という生き物だけが持つ特徴、人間だけがする行為に、「正当化する」「つじつまを合わせようとする」というものがある。高度な思考能力を持っていなければ不可能な行為。人間が、「ホモ・サピエンス=賢い人」と呼ばれる所以でもある。

「転移」を起こした人間は、無意識でその一連の作業―「正当化」と「つじつま合わせ」を行っている。言うなれば、「その場しのぎのもっともらしい理由をでっち上げる」のだ。

例えば、和やかな雰囲気でカウンセリングが行われている最中、何の脈絡もなく、突然ネガティブな感情が浮かんできたとする。自分にも理解できないものだ。「なんだこの気持ち?」混乱が始まる。その原因を必死で探るのだが、自分が何に反応したのか一向にわからない。

そうなった場合、人はどうするか?正体不明のそのネガティブな感情に、何らかの「理由付け」をしようとする。「いかにもそれらしい理由」を無理矢理見つけ出そうとするのだ。「そうだ。今自分がムカムカしているのは、さっきこの人が馬鹿にしたような目で自分を見ていたからだ」という感じで。そんな事実は一切ないにもかかわらず。事実の歪曲、妄想とも言える記憶の改ざんが起こる。「被害者意識」の強い人は、特にその傾向が強い。

それを目の前にいる人―セラピストのせいすることで、そういった自分の感情の動きを「正当なもの」「つじつまの合ったもの」に仕立て上げる。そうすれば自分自身も納得するし、ちゃんと説明がつくというものだ。言うなれば、それは彼らにとって「バランス」を保つための方法でもあるのだ。人間は、それをするために、「事実」さえ歪める。それだけ「理由」というものにこだわる生き物とも言える。


そんな古い感情―主に両親に対して抱いていたそれが、未だに自分の中に残っていることなど、今尚自分に強い影響を及ぼし続けていることなど、多くの人は考えもしない。強く否定する人、それをかすかに感じつつも頑なに認めようとしない人もいる。

だが、両親との関係の中で生まれたものは、想像以上に強く大きな影響を後々にまで残すものなのだ。親子関係は、「人生で最初に築く人間関係」だ。その中で、人は他者との関わり方を学んでいく。良くも悪くも、その関係性、その中で培われた思考パターンや感情、価値観といったものが、その後のすべての人間関係の「基礎」「基準」「見本」となる。

つまり、人生で出会う人すべてに、両親を投影するのだ。無意識に、両親の「要素」を他人の中に見つけ出そうとする。「両親」というフィルターを通してすべての人を見るようなものだ。常にその面影を追っているようなもの―と言い換えてもいいかもしれない。

例えば、過干渉の母親の下で育ち、それを疎んじていた人は、自分を束縛する人に癇癪を起こす。その人の中に、「かつて自分を束縛した母」を見ているのだ。父親の厳格さを嫌っていた人は、教師や上司の厳しい態度に過剰に反発する。彼らに「嫌いだった厳格な父」を重ねているからだ。

夫の態度に腹を立てているつもりが、実はその怒りはかつて父親が取った態度に対して向けられていたものだったり。癇癪を起こした原因の妻の言葉が、子供の頃にうんざりするほど聞かされた母親の口癖と同じだったり。同僚の表情に嫌悪を感じたのは、昔自分をいじめたクラスメートのそれとよく似ていたせいだったり―その先には、必ず「かつて自分に強い感情を抱かせた誰か」が存在している。それが「転移」の真相なのだ。

どんな人にも「転移」は起こる。むしろ、その影響を受けていない人間関係など皆無に等しい。そういった意味では、今現在自分の周りにいる人達は、どんな形であれ、すべて誰かの「身代わり」なのかもしれない。





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夢知らせ

 2009-01-06
【夢知らせ(ゆめじらせ)】

遠方で起こったことや、これから起こるべきことについて、夢で知らせがあること。

(広辞苑より)


子供の頃から、眠っている時に見る夢の内容が現実になることが多かった。
数週間後、数ヵ月後、数年後―その時々によって違うのだが、夢で見たとおりの情景そのままのことが起こる。

一般的に夢の内容というのは、意味不明で辻褄の合わない場合がほとんどだが、私の場合、正夢になるものは、はっきりとした特徴がある。

①登場人物の会話の内容、情景等含め、詳細がかなりリアルで理路整然としていること
②眠っているにも関わらず、「これは夢だ」と思っていること(いわゆる明晰夢)
③起きて大分時間が経ってからも、全部内容を覚えていること

大体は自分自身や、家族、友人達等、近い人達に関することが多い。

小学生4~5年生の頃だったと思う。ひと回り以上歳の離れた父方の従兄が結婚する夢を見た。朝食を食べている時、両親に「○○ちゃん、結婚するんだね~」と言ったら、二人ともきょとんとしている。

「誰が言ったの?」「んー?誰も言ってないよ。夢で見た」「なんだ、夢の話か(笑)」で終わったのだが、それから一週間ほどして、夢に出てきた従兄の父親である伯父が訪ねてきた。例の従兄が婚約したという報告だった。おまけに、他の親戚にはまだ知らせてないという。両親も伯父もびっくりである。

私としては、ごく当たり前のことだったので、逆に周りのその驚きっぷりにびっくりした。子供心に「こういうことは、言っちゃいけないんだな」と思い、それ以来人前ではあまり口に出さなくなった。

数ヶ月前にも、暗示的な夢―「象徴夢」を見た。亡くなった母が、炊飯器のお釜に入ったお米をしきりに見せる夢だった。夢分析上、お米は金銭、財産の象徴だ。「お金が入ってくるのかな」と思っていると、数日後、お一人様で10万円を超えるインディアンジュエリーのご注文をいただいた。

夢は潜在意識からのメッセージだ。潜在意識には、すべての答えがあると言われている。無論そこには未来の情報も含まれている。今後自分がどうなるのか、この先何が起こるのか―その答えのすべてが潜在意識に存在する。私が経験したことも、何の不思議もないことだ。どんな人にもそういった感覚は、元々備わっているのだから。

潜在意識からのメッセージは、時々ふとした時に送られてくる。夢はもちろんのこと、それは「ひらめき」だったり、「直観」だったり―。軸がぶれていなければ、自分自身を信じていれば、必ずそれを受け取ることができる。魂との共鳴運動がもたらすもの―それが「夢」なのかもしれない。



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ヒプノセラピーの真実(1)「その歴史と現状への警鐘」

 2009-01-04
紀元前5世紀、エジプトのナイル川の畔に、豊穣と理知、治癒力を司る女神イシスを祀る「眠りの寺院」が建立された。そこでは、傷病者が神官の誘導によって深い眠り(催眠)に落ち、潜在意識下に病気や怪我を回復させるための「暗示」を施されるという治療法が行われていた。

時には、催眠状態に入った傷病者の潜在意識にイシスが現れ、その病気や怪我の診断と、治療法を告げたと言われる。

古代エジプトの最古の医学文献「エベルス・パピルス」には、王妃の出産時の痛み等を和らげるため、その「治療法」―「催眠と暗示」が用いられたという記録が残されている。実際、BC3000年頃のエジプト王家の墓には、ヒエログリフ(象形文字)で催眠の手順が刻まれている。

その後、その療法は古代エジプトから古代ギリシャへ、またその100年後、古代ギリシャからローマ帝国へと継承された。「医学の父」といわれる古代ギリシャの医学者、ヒポクラテスもそれを活用した一人である。

これが催眠療法―いわゆる「ヒプノセラピー」の起源。「催眠 hypnosis」の語源は、ギリシャ語の「眠る hypnos」に由来している。

ヒプノセラピーは、スピリチュアルなものでも、オカルトでもない。人類史上最古の「精神療法」「行動療法」だ。

中世の時代には、オカルトとしてのレッテルを貼られ、魔女や魔法等の「怪しく、人を惑わすもの」としての扱いを受け、歴史の表舞台から葬り去られることを止むなしとされた時期もあったが、旧約聖書の冒頭書である「創世記」には、催眠を「麻酔=ペイン・コントロール」として用いている場面がある。

第一次世界大戦中と戦後、麻酔薬の供給が底をついたドイツ軍は、ペイン・コントロールとして、戦闘神経症等の治療に催眠を導入した。

アメリカでは、第二次世界大戦と朝鮮戦争の時代、ドイツ軍と同様に、ペイン・コントロール―「痛みの緩和」と、PTSD等の症状を癒す治療の手段として催眠を用いた。1958年には、催眠療法は医療として正式認可されている。

現在の日本では、テレビ番組や書籍の影響等で、「スピリチュアルな世界、精神世界のもの」としての「誤解」「偏見」が蔓延している。ヒプノセラピーの本質を、よく理解していないセラピスト、「流行のスピリチュアルブーム」に乗って、「スピリチュアル」の方向に極端に偏ったセッションをするセラピストの存在がそれに拍車をかけている。

以前別のエントリー「潜在意識の不思議」(2008年9月15日付)でも触れたことだが、「ヒプノセラピー=前世療法・過去生回帰」ではない。

催眠と暗示で成立する「ヒプノセラピー」という、ひとつの大きなジャンルがあって、その中には複数のカテゴリーが存在する。前世療法や過去生回帰は、その複数のカテゴリーの中の一つであり、ヒプノセラピーを構成している部品の一つでしかない。

前世や過去生といった「スピリチュアル系」の要素も含まれてはいるが、セラピストはあくまでも「中立」でなければならない。

スピリチュアルと理論―そのどちらにも、極端に偏ってはならない。先人達の英知と歴史と、本来のセラピーの目的を見失ってはならない。セラピストとしての「本来の在り方」を忘れてはいけない。

セラピーを受ける側であるクライアントにも「気構えと理解」を持ってほしい。今生の自分は過去生の積み重なった結果でもあるが、今生での様々な出来事や出会いの結果のすべてが過去生にあるわけではない。

今生での現実から、事実から逃避する「言い訳」「慰め」「理由付け」としてそれを求める人があまりにも多過ぎる。

「○歳の時の記憶を消してほしい」「自分は前世で○○(歴史上の有名な人物)だったと言われた。それを確かめたい」「今のパートナーがソウルメイトか知りたい」今まで何人か、そういった人達がいた。そして、結局そこにあるのは「逃避」と「虚栄」と「打算」だけだった。

「自立」なくして先人達の遺した英知は生きてこない。他からの援助や支配を受けず、言い訳や逃避や慰めに拠りどころを求めず、自分の力で身を立てるという覚悟があって、初めてそれは力や知恵となる。

囚われ過ぎず、盲信し過ぎず、依存し過ぎず―その気構えが出来た時こそ、自分の潜在意識と向き合う「正しい時」だ。




人々は、霊性について学びたいという気持ちが強すぎるあまり、自分の目の前に差し出されたものに、善し悪しも見定めずに飛びついています。

しかし、自分が何をしているのか、ちゃんと理解していないと、実際には自分自身を傷つけることになるでしょう。

インディアンの宗教を実践しようとする時には、本当の真剣さが必要になります。
それはそれは神聖なものを学んでいるのですから、いい加減に取り組んではならないのです。

人は自分のルーツに立ち返って、そこから学ばなくてはなりません。自分自身の原点から学ぶのです。

そうすれば、自分自身の中に秘めている霊性のありかにたどり着くことでしょう。

(北米ネイティブアメリカン オグララ・ラコタ族の長老ブラック・エルクの孫娘 オリビア・プーリエの言葉)

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引き寄せの法則

 2008-11-06
私が通っていた高校では、毎年クラス替えをすることになっていた。1年生の時のクラスがとても良い雰囲気で、皆で「離れるの寂しいね」「また一緒だといいね」と、全員で言い合うくらい仲が良かった。

男女共ユニークで個性の強い「おもしろい人」が集まったクラスで、且つ性格的もいい人が多かった。実際、当時担任だった先生も「おまえ達をバラバラにするのが気が引ける」と言うくらいだったから、私達からしてみれば、離れ難い気持ちはそれ以上のものだった。

でも規則は規則。2年進級時、その恒例のクラス替えがやって来た。

新学期の始まる朝、昇降口の掲示板にその発表の紙が貼り出される。その日まで自分がどのクラスになるのか分からない。もうドキドキものだ。

その日は、いつもより少し早目に登校した。学校に着いて、早速掲示板の方へ。すでにその前はすごい人だかりだった。人をかき分け、なんとかその前にたどり着いた私は呆然となった。「嘘・・・あり得ない・・・」

まさに信じられないことが起こった。その時私は、心の底から本気で「バチが当たった」と思った。

なぜなら新しいクラス名簿には、私が「絶対に同じクラスになりたくない人」と、ノートに書いた名前のほとんどがあったから。

おまけに1年の時に仲の良かった友達は、私以外は全員同じクラス。もう目の前が真っ暗状態・・・


春休みに入った直後、私は部屋でゴロゴロしていた。そんな時でもやっぱり気になるのはクラス替えのこと。暇に飽かせた私は何を思ったか、落書き用にしていたノートに、思いつく名前を片っ端から書いていった。男女合わせて20人位はあったと思う。日頃校内で目にしたその人の言動や、また聞きの噂等から、関わるのは「絶対無理!」と思っていた人達だった。正直に言ってしまうと「嫌いな人」。

その頃の私は、いろんな意味で「とんがった子」だった。人の好き嫌いも激しかったと思う。一度でもその人の言動が自分の神経に障ると、徹底して自分の中から閉め出すというか、切って捨てるタイプだった。まあそれは思春期の子供に見られる、ごく正常な反応や行動なのだが、あの頃はその度合いがとても激しかったと思う。

だから自分が書いた名前のほとんどがそこにあるということは、そういった自分に対する、神様の罰かと思った。


しかし何よりも驚いたのは、書いた名前のほとんどが合致していたことだ。

当時私達の学年は8クラス、360人近くいたと思う。1クラス約42~3人というところだったろうか。その中で起こったことなので、かなりの確率だと思う。

自分と同じクラスになる人を予知したのか、それとも自分が名前を書いた事実がその人達を引き寄せたのか―果たしてどちらに該当するのかは今でも分からない。

しかしヒプノセラピーや潜在意識の観点からすると、そのどちらも当てはまる。

潜在意識の中にはすでに未来の情報が存在するし、良くも悪くも自分がイメージしたものが現実になる。

しかし、私が名前を書いたことでその人達を引き寄せたとしたら、イメージというものが潜在意識や、その結果(実現)に大きな影響を与えるかが分かると思う。

潜在意識は「良い悪い」の区別ができない。カメラで写真を撮ることとよく似ている。
そこにあるもの(自分の描いているイメージ)を、そのままフィルム(潜在意識)に焼き付ける。

だから私が名前を書き出したことに関しても、「そうですか、今あなたがピントを合わせているのはそれですね。それではそれを写しておきます」という具合だ。

現像後の写真を見て、「この岩が邪魔だな~これが写ってなければもっとよかったのに」と思っても、それはカメラのせいではない。撮影した側の自分にある。カメラは自分がレンズを向けた方向にあるものを忠実に写し撮っただけだ。それと同じこと。

カメラ(潜在意識)にとって、それ(イメージ)が撮影者(自分)に「都合の良いもの」であろうが、「悪いもの」であろうが関係ない。「イメージはイメージ」という認識しかない。ただその「事実」だけがある。

よく「宇宙の法則」として言われているが「自分が見たものが拡大される」という言葉の意味は、このことを言っているのだと思う。

大体において、ネガティブな傾向が強い人は心配ばかりしている。「もしこんなことが起こったらどうしよう」そんなふうにマイナス要素の強いことを常に考えて、思い描いている。そしてそれも「イメージ」だ。そうイメージするから潜在意識にそれが取り込まれ、やがて実現することになる。なぜなら自分が
そうイメージしたから。ちゃんと理にかなっている。

つまり「どうせイメージするならポジティブなものにしよう」ということ。

都合の良いものも悪いものも両方引き寄せるのであれば、やはり「良いもの」に越したことはない。
そしてそれを実際に引き寄せるのは簡単だ。「ポジティブなイメージ」をしたらいいだけ。なぜなら自分がイメージしたものが実現するのだから。

ポジティブなイメージはポジティブな状況を、ネガティブなイメージはネガティブな状況を運んでくる。
それは理に適った「法則」だ。

ひょっとしたら私も、あの時「同じクラスになりたい人」の名前を書いていたら、違う状況になっていたかもしれない。すべては私自身が引き寄せたことだった。

あの当時は今と違って、潜在意識とかイメージの効果とか、そういったものはまだ一般的ではなかった。どちらかというと「オカルト」として扱われていた。でもあの高2の時の「デスノート事件」が、潜在意識の「真髄」を教えてくれた気がする。なぜならそれ以来、私はマイナス要素のあるイメージは一切しなくなったから(笑)

イメージするならハッピーでポジティブなものを、話したり書いたりするならハッピーでポジティブな言葉を―現実を創っているのは自分自身と、自分がしたイメージ。また、そのイメージが今の自分を創っているのだから。



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